【ご案内】スピリチュアル・カウンセリングを受付けています。詳しくは、ブログの右列[カテゴリ]>[個人セッションのご案内]
湖衣の分不相応 書道日記の新着記事

2013年09月23日

<2013年9月>出雲旅行記(1)荒神谷遺跡


荒神谷遺跡1.jpg


9-23

先週の火曜日、9月17日に日帰りで出雲に行ってきました。
5月10日のご遷宮以来なので4ヶ月ぶりです。

ここ数回、出雲に行くと必ず訪れているのが斐川町にある荒神谷遺跡です。ここは、それまで銅剣出土数が全国で300本程度だったのが、この一箇所だけで350本以上発見されたという出雲の底力を感じさせる場所です。

豪族のお墓というよりは重要な祭祀場だったような印象です。とくにこのあたりは熊野と出雲のちょうど中間ぐらいに当たるので、熊野大社パワーと出雲大社パワーを結びつけるようなお祭りが行われていたのではないか、などとあれこれ考えています。


荒神谷遺跡4.jpg

朝8時に到着したので博物館の開く9時まで遺跡公園を散策です。ここは5,6回ぐらいは訪問していると思いますが、何度来ても時間の流れ方が古代の出雲を彷彿とさせるゆったりさで時の過ぎるのを忘れてしまいます。


荒神谷遺跡3.jpg

荒神谷遺跡2.jpg

古代ハスが植わっている水田を通り過ぎると銅剣や銅鐸の出土した場所が見えてきます。ここだけいつも奥の谷から吹き降りてくる湿り気の帯びた谷風が印象的です。もちろん、出土場所からも強烈な頭に響くエネルギーが放出されているのですが、むしろ谷風の癒やしパワーで旅の疲れも和らぎ、包容力あふれる狭き土地です。

そこから荒神谷遺跡の名前の由来となった荒神さんまで上がっていきました。遊歩道が整備されているものの、1メートルぐらいの夏草が繁っています。たまたまかも知れませんが、毎度荒神さんに行く道は草刈りがされていないようで、そもそも荒神谷遺跡に来る人のほとんどは訪れないのだと思います。


荒神さん1.jpg

荒神さん2.jpg

車のスピードの早い道路を横切ると荒神さんの境内に入ります。鳥居のたもとにメロンが二個お供えしていました。いままでいろいろな神社をお参りしましたが、こんな光景は初めてみました。面白い方がいらっしゃいますね。

いつも木立の陰に覆われた荒神さんはちょっと怖い感じの雰囲気ですが、参拝するとガラリとその空気に慣れて印象の変わる不思議な神社です。


荒神谷遺跡5.jpg

引き返して、黒米の田んぼを横切ってTシャツアート展のしている池の畔にまでやってきました。

Tシャツにそれぞれの人が描いた絵をプリントしてあるのですが、なかには「だいじゃのたたかい 6さい」などといった子どもたちの絵も多数ありました。

「ヤマタノオロチを退治」「ヤマタノオロチに酒つぼ」といったタイトルの絵をたった6歳児が描いているのを見て、出雲の神話教育パワーのスゴさにビックリしました。


荒神谷遺跡6.jpg




posted by 湖衣 at 01:28| 愛媛 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年09月20日

東須佐を歩く2(1)近況報告



岩屋寺跡_1.jpg

<一度でいいからこの目で拝んでみたい岩屋寺跡の岩窟(『佐田町の民俗文化遺産』より)>


9−20_2

以前からこのブログをご覧くださっている方は既知と思いますが、2011年の春頃から須佐神社とその周辺の郷土史について調べています。


◯ 過去のブログ記事についてはこちら

東須佐を歩く(1)ことのはじまり
東須佐を歩く(2)王院山
東須佐を歩く(3)宮尾山
東須佐を歩く(4)岩屋寺跡はどこに
東須佐を歩く(5)岩屋寺跡を目指して
東須佐を歩く(6)堀坂山と宝坂神社
東須佐を歩く(7)才の神と石碑たち
東須佐を歩く(8)鐘つき堂跡
東須佐を歩く(9)安堵はいつできるのか
東須佐を歩く(10)木漏れ日の先にあるもの



あれから2年余り、しばらく進展がなかったのですが、今月になってFacebookのご縁で須佐周辺の歴史に詳しい方とコンタクトを取ることが叶いました。

連絡先をお聞きしたのでお電話をすると大変丁寧に説明してくださり、私の聞きたいことを改めてさらに詳しく知っている人に問い合わせてくれていました。

本格的に神社めぐりを始めたのが2005年頃からでした。この8年ほど東は茨城県の鹿島神宮、西は鹿児島県の霧島神宮までそれなりに参拝しましたが、出雲の、しかも須佐神社のある旧佐田町ほど執着をもっていまだに調べ続いる土地はありません。もちろん、各地にある自分のお気に入りの神社の歴史について不明点はそれぞれに持っています。伊勢しかり九州しかりですが、文献を集め始めた3年経ったいまでも強烈に地元の人からも忘れ去られそうになっている現地を訪れたいと思うのは本当に不思議です。

今日、信頼している知人から、
「もうやっていることは修験者ですね。でも、これを通り抜けるとステージが一段階上がる感じがしますね」
といっていただきました。

自分自身でも須佐周辺でどうしてもわからなくて間近まで行ってみたい場所について折り合いがつける日がくれば、おそらく自分が本当にやりたいことが現実として明確に現れ出て、そのまま滑り出せそうな手応えを感じています。

それぞれの場所は中世もしくはそれ以前のものばかりです。実際にそこにたどり着くことだけが是とは思っていません。村人からも忘れ去られそうになっていることでそのまま聖地が自然に還り、諸行無常を持って役目を終えようとしていることもあるでしょう。明らかにすることで逆に大事なものに対して不敬を働くことになるかもしれません。

いずれにせよ、出雲の須佐の人たちが連綿と守り続けてきたものに対して、どんどん人々の記憶から消えていこうとしている現代、とにかくその輪郭を描く程度であってもできないかと思います。


宮尾山.JPG

<宮尾山(須佐神社の元宮がこの山頂にあったという)>



出雲は今見えている出雲だけではないと感じています。
出雲がありそして熊野があり、物部がありそして須佐があり。こうした民族ともエネルギーともいえるものたちが歴史の横糸によって何度も模様の書き換えを繰り返しながら、いまの出雲があるのでしょう。

これだけは理由のない確信があるのは、私が調べているいくつかのポイントがきっと次代において本来の本来の本来の出雲の根幹を見直す一つのきっかけになるということだけです。

おそらく来春ぐらいまでには一つのまとめができると考えています。こちらでも少しずつ進展した成果を伝えられたらと思っています。

posted by 湖衣 at 21:49| 愛媛 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。