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2012年06月12日

【旅行】山口のたび(2日目)その1

2日目
2011年9月27日(火)

2日目も山口市内滞在です。
出発前に山口市の観光協会さんから送ってもらったパンフレットに、ひっそり紹介されていた遺跡に行って見ることにしました。

朝9時に宿を車で出発。まだ残暑厳しくて、すぐに日差しがキツくなって来ました。

山口といえば長州藩の毛利氏のイメージがほとんどだったのですが、それ以前に収めていたのが大内氏と呼ばれる戦国大名です。山口市の観光メッカとして知られる瑠璃光寺の五重塔を建てたのもこの大内氏。
毛利氏に変わる中で、大内氏にゆかりのある場所はそのほとんどが破壊されてしまったようで、これからいく大内氏遺跡凌雲寺跡というのも石垣だけが遺されているそうです。周防国の戦国大名大内氏の当主大内義興の菩提寺であったとのことです。

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山口市の中心部からは車で30分程度なのですが、かなり山の集落に入ってきた道のりで、事前にしっかり地図を調べておいてよかったと思うくらいわかりづらい場所でした。
しかし、集落の奥まったところにちゃんと駐車場も整備されていたので安心です。

少し田畑の山道を歩いて行くとちょっとした高台にお墓と供養塔がありました。これも立派なものでしたが、あまりお祀りされていない様子でちょっと寂しい感じ。

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そこから広大な田園に抜けると、「マムシ注意」の看板に怯みながら進んで行ったら写真で見た石垣が見えてきました。

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来るまでは、長さ約60m、高さ3m、幅2mという情報だけでは大きさがピンと来なかったのですが、実際見たらネットの画像なんかよりはるかに巨大で驚きました。この石垣は惣門跡と言われていて、そこから数m参道の石段も遺されていましたが、かなりな道幅で、こんな田舎にこれだけのものがあるとは、当時はかなり豪壮な迫力だったと思います。規模からして単に寺院だけでなく、有事の際の城郭の役目もあるのでは、という説が一般的なようです。

その日は、市役所から派遣された人たちなのでしょうか、10人ほどの作業員の方があたりの草刈りをされていました。母と私が見学する間、作業を休めてくれました。どちらから来たんですか、と聞かれたので、愛媛からというと、かなり驚いていらっしゃいました。おそらく、地元の人からするとこれまでほとんど顧みられてこなかった遺跡のようなので、これから少しずつ周辺の整備や調査が進むとうれしいです。

この凌雲寺跡遺跡で不思議なのが、これまでまったく学術調査が行われてきてこなかったことでしょう。2010年になってようやく調査が始まったらしいのですが、どうしてこれだけ大規模な寺院跡の調査がなされなかったのかは疑問です。

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あたりはちょうど彼岸花が咲いていて、緑に赤い花、そして谷を囲む周辺の山々も美しく、マムシさえいなかったらのんびりひなたぼっこしたいほどの場所でした。やはり、大寺院が建てられた場所だけあって、山から、川から、そして平野に向かうエネルギーをうまく捉えていると感じました。
posted by 湖衣 at 16:53| 愛媛 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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