
母方の曽祖父とは一度も会ったことがない。
昭和30年代に早く亡くなってしまったのである。
しかし、私にとって曽祖父は平素からとても身近な存在であった。
家の応接間に白黒の小さな写真が一葉、写真立てに佇んでいる。
おそらく60歳前後に撮られたものだろう。
紋付の羽織を着て、本家(母屋)の玄関前で撮られたものらしかった。
丸刈りにしていたのか禿げていたのかわからないが、たまご形の頭に、控えめな表情が印象的である。
同居していた祖父母に幼い頃から聞かされていたのは、とても静かで寡黙な人だったということだ。繊細で気が弱いところもあったらしく、ひどい痔持ちだったためいつもふんどしを汚していたらしいのだが、気の強い曽祖母に叱られては一人、井戸端で涙ぐみながら手洗いしていたらしい。
何より、自分と先祖との因縁について考えさせてくれるきっかけというのが、曽祖父が子供の頃に家族を全員亡くしたという壮絶なエピソードを聞かされたことだった。
まだ明治後期で衛生面もよくなく医療も発達していない時代。
愛媛県でも毎年のように伝染病が流行し多くの死者を出していた。
曽祖父の家族は父母や兄弟を含めて当時10人ほどいたらしいのだが、1、2年のうちにすべて流行病で死に別れ、一人きりになったという。
曽祖父が15歳頃の話である。
今でも、本家のお墓参りに行くと、小さな石塔がたくさん残されていて、そのうち明治末期から大正初期のものが多いが、おそらくこの頃のものであろう。
天涯孤独になった曽祖父は、近所に住んでいた遠縁に当たるおじさんに連れられ、亡くなった全員の位牌を背負って四国八十八ヶ所の遍路の旅に出たということだった。
祖父が子供の頃、半ば好奇心で曽祖父に当時の話を聞こうとしたことがあったらしい。
だが、曽祖父は話し始めるとまもなく目に涙を溜めて黙ったままうつむいてしまい、それから口を閉じてしまった。
祖父は子供心にも、悪いことを聞いてしまったな、と後悔したという。
曽祖父がお遍路で使った杖や白装束などは、戦後の混乱期で無くなってしまったらしく現物を見ることができないのは残念だ。
ただ、そのエピソードだけで彼一人生き残らなかったら今の自分が存在していないことを考えると、たとえ会ったことはなくとも非常な親近感と敬愛の念を覚える。
そして、常に曽祖父がそばにいるような、そんな不思議な感覚を物心付いた時より感じながら今に至るのである。
曽祖父の話で、ひとつ微笑ましい逸話も残されている。
あるとき、母屋から見える向かいの山へ山仕事に出かけた。
弁当の風呂敷包みを吊るしておこうと松の枝と思って引っ掛けたのが、よく見ると大蛇の角だった。
そんなことはあるはずがない。
見間違いだ、と家族は笑ったらしいのだが、数日にわたって曽祖父は布団をかぶったまま震えていたという。
これも祖父が子供の頃見て、印象深い場面だったとのことだ。
ちなみに、その山を明神山といい、戦前までは日照りが続くと山頂で雨乞いをする、龍の住むと言われる霊山だった。
posted by 湖衣 at 21:56| 愛媛

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